連載コラム【マーチングと海外】#4 マーチング留学で経験してきたこと(後編)(梶山宇一)

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The Cavaliersに参加できる最後の年 AGE OUT YEAR

1993(平成5)年にアジア人として初めてThe Cavaliersのメンバーになり、1995(平成7)年にはエイジアウト(メンバーとして参加できる卒業年)を迎えました。93年、94年のチームの成績は5位、4位。個人で挑戦したソロコンテスト(Individual & Ensemble Competition)では7位、2位でした。だからこそ、最後の年は団体でもソロでも優勝したい。その強い思いを胸に、練習に励みました。

特にソロコンテストで優勝したかったのには、大きな理由がありました。ずっと応援してくれていた愛町吹奏楽団の先輩が、「自分も就職した勤務先で日本一になるから、宇一もソロで世界一になってこい!」と言ってくれたのです。そして、先輩が本当に日本一の成績を収めたという知らせを受け、今度は自分が約束を果たす番だと思ったのです。

優勝したいと思うこと

自分にとってのラストイヤーのツアーが始まり、他団体との激しい首位争いが続いていたある日、メンバー全員が集められ、私が尊敬するパーカッションのインストラクターBret Kuhn(ブレット・クーン)氏がみんなに問いかけました。

「この中に、今年、優勝しなくてもいいと思っているメンバーはいるか?」

数名のメンバーが手を挙げました。クーン氏が理由を尋ねると、そのうちの一人は「みんなと素晴らしい本番ができれば、それでいいです」と答えました。クーン氏は「本当か?」と返し、こう続けました。

「優勝したいと思うことは悪いことじゃない。もちろん、それがすべてではない。でも、全員がこのメンバーで優勝したいという強い気持ちを持つことは、大切なことだ」

優勝できなくても、みんなと良い時間を過ごせればいい――確かに当時バンド内にはそんな空気もありましたが、クーン氏のこの言葉が私たちの気持ちを一つにしてくれました。「このメンバーで優勝したい」という思いを改めて強くした瞬間でした。

A Champion Practices Like a Champion

ツアー中、私は壁に貼られたポスターに目が止まりました。体操選手が両足で着地を決めた写真の上に、こう書かれていたのです。

“A Champion Practices Like a Champion.”

「チャンピオンは、チャンピオンらしく練習する」。その言葉を読んだとき、勝負は本番当日の審査員の採点だけで決まるのではなく、そこに至るまでにどんな練習を積み重ねてきたかで決まるのだと感じました。  それ以来、私はわずかな時間も惜しんで練習を重ねました。食事後の休憩時間も、ウォーターブレークも、移動先でみんなが仮眠を取っている間も、ひたすら練習を続けました。当時一緒にツアーを回った日本人メンバーたちは、今でも「あの年の宇一は、ずっと練習していた」と言っているほどです。それほど、私の最後の年に懸ける思いは強かったのです。

最後のソロコンテスト

いよいよ迎えたファイナルウィーク(DCIの決勝大会が行われる週)の水曜日、ついにソロコンテストが開催されました。会場は満席で、立ち見の観客もあふれていました。前年に準優勝していたこともあり、私の出番には他団体のメンバーも大勢聴きに来てくれていました。

私が演目に選んだのは、自分でアレンジした『桜』でした。先輩から教わった「3回連続で間違えずに演奏できるまで練習する」という方法を続け、本番を迎えました。演奏は順調に始まりましたが、後半の最後の見せ場で、自分としては許せないミスを何カ所かしてしまいました。

「あそこも失敗した、ここもうまくいかなかった……」

演奏を終えた私は、そんなことばかり考えながら椅子に座り込み、落ち込んでいました。 すると、The Cavaliersの友人が近づいてきました。

「宇一! すごかったね! 僕の前で聴いていた人が、宇一の演奏を聴いて泣いていたよ。他にもたくさん泣いていたよ!」

私は信じられませんでした。あんなに失敗したのだから、慰めてくれているのだろうと思ったのです。そして、結果発表。審査用紙には、こう書かれていました。

“Bravo! So Emotional.(ブラボー! とても感動的だった)”


得点は98.0点。私はソロコンテストで優勝しました。しかも、この得点はブラスや打楽器など、すべての部門を通じて最高得点だったため、最高得点者だけに贈られる賞金もいただきました。同じ部門の2位は、世界打楽器コンテストで優勝したこともあるThe Cavaliersのリーダーであり、最も親しい友人の一人でした。私は複雑な思いもあり、静かに優勝をかみしめていたことを覚えています。それでも、彼を含めた友人たちは、「宇一、世界チャンピオン! 優勝おめでとう!」と、大きな声で祝福してくれました。忘れられない瞬間でした。

今、振り返ると、優勝したこと以上に心に残っているのは、言葉も文化も違う異国の人たちが、私の演奏を聴いて涙を流してくれたことです。この経験は、たとえ言葉が通じなくても、自分の思いは相手に伝わるのだという自信につながりました。「Music is a universal language(音楽は世界共通の言語)」とはよく言いますが、私はその言葉の意味を自分自身の体験を通して実感することができました。

そして、これは英語にも通じることだと感じています。発音や技術を磨くことは大切ですが、それ以上に大切なのは、自分の気持ちを相手の心に届けること。演奏も同じで、ミスをしないことだけが大切なのではありません。多少荒削りであっても、感情を乗せて演奏したり、話したりする方が、相手の心に深く届くことがあります。これこそが日本にいるだけでは得られなかったものであり、6年間の留学生活で得た最も価値のある学びだったのではないかと思います。

団体優勝と最優秀打楽器賞

私たちThe Cavaliersは、DCI World Championshipsの準々決勝と準決勝を1位で通過し、決勝を迎えました。この年のプログラムは、10年前となる1985年に披露した『惑星(G.ホルスト)』のリバイバルショーです。かつてこのショーを演じた先輩たちの思いと、今の私たちの思いがつながる、特別なシーズンでした。

決勝では、準決勝の順位に従い、ファイナリスト12団体の最後にフィールドへ入場しました。演奏前には、メンバー全員で『Over the Rainbow (オーバー・ザ・レインボー)』を歌います。渾身の思いを込め、叫ぶように歌ったあの瞬間の光景は、今も鮮明に覚えています。

アナウンサーの「From Rosemont, Illinois――The Cavaliers!!」というコールとともにフィールドに立つと、超満員の観客が総立ちになり、大歓声で私たちを迎えてくれました。

そして、『火星』の序奏が始まりました。最初に音を出すのは、私を含むピットのメンバーです。ドラムメジャーのタクトに合わせ、アイコンタクトを取りながら、メンバーとして最後のイントロを演奏しました。高校時代から夢見てきた舞台に、メンバーとして立つ最後の瞬間でした。脳裏には、愛町の関根清和(せきね・きよかず、愛町吹奏楽団代表)先生や仲間たち、両親や家族の顔が浮かびました。もう二度と戻れないこの瞬間に、心からの感謝を込めて演奏しました。

>Spotlight of the Week: 1995 Cavaliers

そして、閉会式。12位から順にスコアと団体名が読み上げられます。2位にThe Cadets of Bergen Countyがコールされると、喜びたい気持ちを抑えながら、みんなでその時を待ちました。

「With the score of 98.30…… From Rosemont, Illinois――THE CAVALIERS!!!」

最後に私たちの名前が呼ばれました。満面の笑顔を浮かべる者や、涙を流す者。メンバー全員が、夢が叶った瞬間をかみしめていました。日本人メンバーともハグや握手を交わし、優勝の喜びを分かち合いました。加えて、最も高い得点を獲得した打楽器セクションに贈られる「最優秀打楽器賞」も受賞しました。こうして私は、エイジアウトイヤーに、団体優勝、最優秀打楽器賞、ソロコンテスト優勝という三つの栄冠を手にしたのです。私の留学1年目から支えてくれたThe Cavaliersのディレクター、Jeff Fiedler(ジェフ・フィードラー)氏をはじめ、多くのスタッフの皆さんのおかげで、私は最高の時間を過ごすことができました。

The Cavaliersは、昔からGreen Machine(グリーンマシーン)の愛称で知られており、チームの一員になった証として、マシーンの一部を表す「Gear(ギア)」と呼ばれる記念品が贈られます。私は複数年にわたってメンバーを務めたため、いくつものギアを持っていました。そして、いつの頃からか、私を含むメンバーたちが、日本の五円玉を首からかけるようになりました。私は「五円」は「ご縁」に通じ、友情を表すものだと話し、メンバーたちに五円玉を配ったことを覚えています。驚くことに、エイジアウトから30年以上がたった今でも、メンバーたちは日本の五円玉を首からかけてくれているそうです。

わずか80年ほど前まで、日本とアメリカは戦争をしていました。その両国の人々が、音楽やマーチングを通じて交流を深め、友情の象徴として、今も五円玉を首からかけてくれている。90年代にThe Cavaliersのメンバーだった私たちにとって、これほど嬉しいことはありません。アメリカと日本、The Cavaliersと愛町。さまざまなご縁が生んだ奇跡の象徴として、今も五円玉(ご縁)を大切にしてくれていることを、私は誇りに思います。

私の原点は、愛町吹奏楽団にあります。10歳のとき、母に勧められ、自転車で5分ほどの場所にあった愛町吹奏楽団に入団しました。 10代の頃、愛町で受けたレベルの高い指導。そして、そこで学んだ、文化や宗教の壁を越えて相手を思いやることの大切さ。そのすべてが、私を世界一を目指す舞台へと導いてくれたのだと思います。

指導者として

現役を終えた後も、私の挑戦は続きました。1997(平成9)年にはBlue Starsで編曲と指導を担当し、翌1998(平成10)年にはThe Cavaliersの50周年記念の年に、ピットスタッフとして迎え入れてもらいました。この二つの団体で学んだことは、今も私の指導の大きな土台となっています。

コンコルディア大学を卒業して帰国する98年には、もう一つ忘れられない出来事がありました。「第25回マーチングバンド・バトントワリングコンテスト全国大会(1998年1月18日、日本武道館開催)にて、愛町吹奏楽団が初優勝を果たし、内閣総理大臣杯を受賞したのです。この日は、私の誕生日でもありました。人生で最も多くの人に「おめでとう」と言った、忘れられない誕生日となりました。6年間の留学を支えてくださった愛町の関根先生、諸先輩方や後輩達、そして両親。皆さんのおかげで、今の自分があります。心から感謝しています。 

本コラムも次回で最終回を迎えます。2004(平成16)年に日本人として初めてDCIの公認ジャッジ試験を受験し、合格したときのエピソードをご紹介します。留学中のエピソードは、今回が最後となります。毎回読んでくださっている皆さん、本当にありがとうございます!

写真について

1枚目:優勝後、パーカッションメンバーと記念写真(左端が中村裕治、左から4人目が私、中央Mの文字の真後ろが石川直)
2枚目:ソロコンテストの優勝記念プレート(名前入り)
3枚目:DCI優勝トロフィーと記念撮影
4枚目:私のThe Cavaliersコージャケットとギア
5枚目:愛町吹奏楽団、初優勝の時の記念写真(愛町吹奏楽団代表関根先生と、お世話になった先輩方との記念写真)

著者プロフィール

梶山宇一(かじやま・ういち)
コンコルディア・シカゴ 大学音楽科卒業。愛知工業大学名電高校吹奏楽部顧問、名古屋商科大学吹奏楽部 技術顧問兼指揮者、名古屋音楽大学講師を務める。1984年愛町吹奏楽団(内閣総理大臣杯受賞団体)入団。バンド指導を関根清和氏に学ぶ。1992年に渡米し、翌93年The Cavaliersへ入団。95年DCI(世界大会) にて日本人として初となる個人優勝を果たす。また、同年に団体優勝と最優秀パーカッション賞を獲得。97年にBlue Stars、98年にCavaliersを指導。2004年DCI公認審査員に認定。日本マーチングバンド協会公認指導員。

Uichi Kajimyama/Instagram

本記事は英文でもお読みいただけます/This article is also available in English

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