早いものでもう秋ですね。今年は記録的な酷暑や各地の豪雨など、心配の尽きない夏でした。皆様いかがお過ごしでしたでしょうか。前回は審査員の経験についてお伝えしました。今回は、私が大会の実行委員や役員として運営に関わるようになった経緯についてお話しします。
私が初めて大会運営に関わったのは、1977(昭和52)年に日本ビューグルバンドへ参加したことがきっかけでした。最初はフロアシートやポイントの設営といったお手伝いでしたが、余ったテープでフロア全面に大会名を描くといった楽しい作業も経験させていただきました。
教員になってからは、神奈川県大会や関東支部大会の実行委員も務めるようになりました。ちょうどその頃、趣味でワープロやコンピュータミュージックを始めていたこともあり、進行台本やBGM制作も担当しました。大会事務局、演出部、審査部、会場部など、さまざまな部署で貴重な経験を積むことができました。
お手伝いを続ける中で、失敗もたくさんありました。今思い出しても恥ずかしさで胸が張り裂けそうになることが多々あります。しかし、大会運営委員として、参加者ではなく運営側の立場で大会に携われたことは、今に繋がる貴重な経験だと感じています。
審査員としての経験を経て、大会の審査システムが現在の形に近づいた頃、審査基準や審査方法を調整する役割を任せていただくようになりました。その後は支部大会などで審査委員長も務めさせていただき、多忙ながらも充実した日々を過ごしました。
大会運営や審査のお手伝いを続けるうちに協会の役員に任命され、年間を通じて運営に携わるようになりました。運営側の立場になると、理想と現実のギャップに直面する場面も増えます。大会を安全に継続するために課題を一つひとつ解決していく作業は大変ですが、役員の方々が熱心に議論を重ね、より良い方向を探っていく姿には大きな感銘を受けました。
また、まだ細かい実施要項や規定が設けられていなかった時代には、今であれば驚くようなハプニングもありました。例えば、
などがありました(心当たりがありますか?)
大会は、事故がなく、公正・公平に演技や演奏ができるよう配慮されていますが、時には予想もしない出来事が起こり、運営側を悩ませることも少なくありません。こうした問題は大会のたびに発生し、その都度ルールが定められてきました。ルールは決して頭ごなしに押しつけたり、融通の利かない形で決めているわけではありません。参加者のみなさんがきちんと守ってくだされば、本来は必要なくなるものなのかもしれませんね。
実行委員としてお手伝いをしていると、参加団体の方々からの気持ちの良い挨拶やお礼の言葉に励まされ、疲れて座り込みたくなるようなときでも奮い立たせてもらえることが何度もありました。演技直前で気が立っているのでしょう、時にはご案内や実施要項の内容について厳しい言葉をいただくこともあります。しかし、そのたびに自分自身が演技者だった頃を思い出し、気持ちよく演技に臨んでいただけるよう心を配りながら案内することを心がけています。舞台裏で役割へ懸命に従事する係員にも想いを馳せ、ともにマーチングの世界を広げていける仲間が少しでも多くなるよう、大会へのご参加をいただきたいと願っています。
これまでにもお話ししてきたように、中学・高校時代や一般バンドでの活動、指導者協会の研修会、学校勤務、県・支部連盟や協会での経験を通じて、多くの先輩・後輩、そして仲間との出会いに支えられてきました。特に、大学時代から共に歩み、日本マーチングバンド協会の理事長を務められた故・田中久仁明先生には、数え切れないほどの思い出とご支援をいただきました。審査員や協会役員、副理事長へと推薦してくださるなど、数々のご縁を繋いでくださった大切な恩人です。
また、これまでお世話になった方々のお名前を本当はすべて記したいのですが、文字数の都合で叶いません。「私の名前が出ないじゃないか」とお気を悪くされる方もいらっしゃるかもしれませんが、皆さまのことを思い浮かべながら書いておりますので、どうかご容赦ください。
私は2021年(令和3年)より、日本マーチングバンド協会関東支部の理事長に就任しました。当時はコロナ禍が落ち着き始め、活動再開に向けて動き出した時期であり、大会の再開や感染対策など、多くの課題を抱えていました。さらに翌年には、日本マーチングバンド協会前理事長の田中先生がご病気で倒れられ、副理事であった私が代行を務めることとなりました。今思い返しても大変残念で悲しいことですが、田中先生は2023年(令和5年)1月に旅立たれました。その後、先生の思いを受け継ぐ形で、私は正式に日本マーチングバンド協会の理事長に就任することとなりました。
とても悲しい出来事をきっかけに現在の立場を務めることになりましたが、その歩みの中で数多くの出会いやご縁に恵まれてきました。人と関わる中では、時に傷ついたり、逆に誰かを傷つけてしまったこともあったかもしれません。それでも、人とのつながりの大切さを胸に、諸先輩方の思いやご期待を忘れず、いつか自分の思いを引き継いでくれる方々と出会えることを願いながら、日々の業務に励んでいます。皆さまのご支援に改めて深く感謝申し上げ、この場をお借りして心より御礼いたします。
さて、最終回となる次回は「現在と未来に向けた想い」についてお話し、締めくくりたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。
著者プロフィール
竹村憲夫(たけむら のりお)
関東学院から日本ビューグルバンドに進み編曲・フォーメーションデザイン担当。宇都宮女子商業高において、全国大会13年連続金賞、ミスドリルチーム世界大会第二位を受賞。日本マーチングバンド協会の県、支部、全国大会などで審査員を務める。現在、一般社団法人日本マーチングバンド協会 理事長、日本マーチングバンド協会公認指導員、ドラムコージャパン公認ジャッジ。