今回マーチングナビ様のご厚意によりコラムに寄稿させていただくこととなりました、竹村憲夫と申します。私の経験などについてお話しさせていただきますこと、とても光栄に思います。少しでも皆様の活動や、これからマーチングの世界の扉を開けようとされている皆様のお力になることができるのであれば、幸甚に存じます。どうぞ温かい目でお読みいただければと思います。宜しくお願いいたします。
私とマーチングとの出会いは、関東学院中学校の入学時に遡ります。同じクラスの友人が机上にコルネットを広げていたことがきっかけです。それまでエレクトーンなどの楽器に触れる機会はありましたが、初めて見る金管楽器はキラキラとして、とても新鮮で素敵に見えました。私はその日のうちに友人に連れられてマーチングバンド部への入部を決めていました。
入部した関東学院マーチングバンドでは、恩師である広岡徹也(ひろおか・てつや)先生や、素晴らしい友人や先輩方との出会いがありました。また、マーチングバンド、金管バンド、電子電気楽器を使用したポップスバンドなどの様々な演奏活動を体験することもできました。在校中に運良く経験することのできたマーチングバンド全国大会出場や日米合同吹奏楽研究会でのハワイ遠征、ジュネーブ祭参加の為のスイス・フランス遠征、沖縄海洋博のイベント出演など多くの人や機会、経験のチャンスにも恵まれました。この部活動での様々な出会いや経験は、現在の私の活動の基礎であり、現在でも多くのご助言やご協力をくださる大切な絆となっています。
さて、私が最初に担当させていただいた楽器は、もちろんコルネットでした。初めて吹く金管楽器、想像と違いなかなか音が出ません。音楽室の後ろで、黒板に向かってロングトーンを続ける日々でした。そして迎えた初めてのパレードの本番。緊張でしょうか、どうやっても右手右足、左手左足が一緒になってしまいます。Uターンしたあと、戻る合図が聞こえず、そのまま本隊と離れてしまったこともありました。甘酸っぱい想い出です。
ある日、先生に呼び出されました。先生はにっこり笑って「ドラムメジャーやらないか?」と言ってくださいました。なんでも、ドラムメジャーというのはバンドを意のままに動かすことの出来るマーチングバンドの花形とのことでした。当然即答で「やります!」と答えました。先生や先輩の指導により少しずつですが指揮法を教わり、パレード練習でも先頭で指示を出すことが出来るようになりました。
暫くしてまた先生に呼ばれます。「ドラムメジャーはテンポ感が大切。テンポの基本となるバスドラムかテューバをやるべきだ」と。テューバには卒業間近な先輩が一人居られるばかりでした。紆余曲折の結果、テューバ担当に。また一からテューバの練習です。なんとか音が出るようになり、先輩が卒業した後に「パレードではテューバが必要。テューバで本番に出るようにね。ドラムメジャーは他の部員を起用するので教えるように頼むよ」と指示を受けました。これは先生の計画だったのかはわかりませんが、結局、在学6年間の内、ドラムメジャーで本番に出ることが出来たのは1回だけでした。しかし、今となってはテューバやドラムメジャー等を担当する機会に恵まれたことを心から感謝しています。そしてまさに運命的なマーチングや人そして音楽との出会い。この出会いが今にまで続く大切な始まりの一歩となりました。本当に感謝しております。
さて次回は「指導者としてのスタート」としてお話させていただければと思います。どうぞよろしくお願いいたします。
著者プロフィール
竹村憲夫(たけむら のりお)
関東学院から日本ビューグルバンドに進み編曲・フォーメーションデザイン担当。宇都宮女子商業高において、全国大会13年連続金賞、ミスドリルチーム世界大会第二位を受賞。日本マーチングバンド協会の県、支部、全国大会などで審査員を務める。現在、一般社団法人日本マーチングバンド協会 理事長、日本マーチングバンド協会公認指導員、ドラムコージャパン公認ジャッジ。