
日本ではDCI(Drum Corps International)の情報を得ることが難しかった1990年代初頭、私が所属していた愛町吹奏楽団は、初めて海外スタッフに編曲を依頼し、その作品を全国大会で披露しました。
その頃、私は「アメリカで勉強したい」という思いを、恩師の関根清和(せきね・きよかず、愛町吹奏楽団代表)先生に伝えていました。すると先生から、「いつかDCIでプレーしたいのであれば、ゴードン・ヘンダーソン氏(元UCLA教授)に、どこか勉強をさせてもらえる団体を紹介してもらってはどうか」とご提案をいただき、翌1992(平成4)年からThe Cavarilersに見習いとして勉強に行かせていただくことになりました。

高校を卒業して間もない1992(平成4)年3月28日、恩師や両親、友人たちに見送られ、私はThe Cavaliersの本拠地があるアメリカのシカゴへ向かいました。シカゴでは、目にするものすべてが新鮮でした。私は早速練習方法や練習風景を写真や手紙にまとめ、日本の恩師や仲間たちに毎日のように送りました。6年後、帰国の挨拶に伺うと、関根先生は私が送った資料をすべてファイリングして残してくださっていて、まるで分厚い図鑑のようになっていました。
渡米してから数か月、私はずっと「なぜアメリカ人はこんなに上手いのだろう」と考えていました。「手が大きいから」「身長が高いから」「食べるものが違うから」――そんな体格や文化の違いに、理由を求めていたのです。しかし、周りから返ってくる答えは、いつも同じでした。
「基礎練習が大事なんだよ」
アメリカに来たからといって、すぐに上手くなれるわけではない。そのとき私は、基礎練習の大切さは愛町で恩師や先輩たちから教わってきたこととまったく同じだったのだと、改めて気付かされました。そしてもうひとつ、The Cavaliersのメンバーたちが教えてくれた大切な言葉があります。
「練習は、量よりも質が大事(Quality is more important than quantity)!」

その後、春のキャンプ、スプリングトレーニングを経て、6月からのツアーに参加し、8月のDCI Finalまで、アメリカ各地を回りました。メンバーと練習するだけでなく、食事の準備やゴミ捨て、フィールドのライン引き、楽器運びなど、見習いとしてできることは何でも手伝いました。
そして迎えたDCI Final。The Cavaliersはシーズン中ずっと1位でしたが、Quarter Finals(準々決勝)ではStar of Indianaに僅差で抜かれ2位に。しかし翌日のSemi Finals(準決勝)で再び1位に返り咲き、Finals(決勝)で創立初の優勝を果たしました。
その夜の素晴らしい演奏・演技は、今もしっかりと心に残っています。
表彰式の後、観客席から歴代メンバーたちがフィールドへ降りてきて、皆で大きな円陣を作りました。私もその輪の中に迎え入れてもらい、みんなでチームソング『Over the Rainbow』を歌いました。創立当初からキャバリアーズを支えてきた皆さんとともに歌ったあの大合唱は、私にとって一生忘れられない思い出です。わざわざ日本から応援に来て下さった愛町の先生や先輩方、そして両親への感謝の気持ちでいっぱいでした。
第3回以降は、The Cavaliersのメンバーになってからの思い出をお話ししたいと思います。
1枚目:1992年、優勝後の記念写真。青色にピンクの字でYAMAHAと書かれた帽子をかぶっているのが私です。
2枚目:地元のパレード前に記念撮影。ドラムメジャーとバッテリーメンバーたちと。
3枚目:スプリングトレーニングの時の写真。テナードラムのメンバーたちと。

梶山宇一(かじやま・ういち)
コンコルディア・シカゴ 大学音楽科卒業。愛知工業大学名電高校吹奏楽部顧問、名古屋商科大学吹奏楽部 技術顧問兼指揮者、名古屋音楽大学講師を務める。1984年愛町吹奏楽団(内閣総理大臣杯受賞団体)入団。バンド指導を関根清和氏に学ぶ。1992年に渡米し、翌93年The Cavaliersへ入団。95年DCI(世界大会) にて日本人として初となる個人優勝を果たす。また、同年に団体優勝と最優秀パーカッション賞を獲得。97年にBlue Stars、98年にCavaliersを指導。2004年DCI公認審査員に認定。日本マーチングバンド協会公認指導員。
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