
去る2026年4月、日本マーチングバンドの発展に多大なる功績を残された広岡徹也(ひろおか・てつや)先生が逝去されました。マーチングナビ編集部では、広岡先生との縁ある方々からの追悼コラムを2回にわたって紹介し、ご功績とともにお人柄などを振り返っていきたいと思います。
1回目では、日本マーチングバンド協会理事長の竹村憲夫先生、同協会相談役の有國浄光先生、愛町吹奏楽団ディレクターの関根清和先生による広岡先生とのエピソードをご紹介しました。
2回目となる今回は、日本マーチングバンド・バトントワリング協会顧問であり、元・日本マーチングバンド指導者協会理事長の原田元吉先生、関東学院マーチングバンド卒業生の上杉雄一氏にご寄稿いただいております。ぜひご一読ください。

写真右から、原田氏・広岡先生・関根先生(愛町吹奏楽団)
1969〜70(昭和44、45)年頃、座談会にて広岡徹也先生の尊父・九一氏(戦中・戦後の吹奏楽メソッド著者)とお会いしました。私が天理高校出身の東京藝大卒であったことから大変可愛がっていただき、ご自宅にお邪魔した際に息子の徹也先生(当時、関東学院にて吹奏楽を指導)を紹介されたのが最初の出会いです。
以降も九一氏へNHK交響楽団のチケットをお送りするなどの交流が続き、九一氏が全日本吹奏楽連盟の理事長になられてからは、浜松でのヤマハ吹奏楽団定期演奏会へお招きし、鳥羽の「合歓の郷」へお連れするなど親交を深めました。
後日、広岡徹也先生は東京藝大の3年先輩(私が1年生の時に4年生)であったことがわかり、同窓生としてより親近感を抱くようになりました。その後、私はN響時代に一か月間アメリカへ赴き、各種大学バンドや軍楽隊との交流、ミッドウェスト・クリニックへの参加、ローズパレードやローズボールのハーフタイムショーを見学しました。10万人規模の競技場での圧倒的なパフォーマンスに深く感動し、「帰国後は日本でも吹奏楽にマーチングを取り入れ、普及させたい」と強く決意しました。
帰国後、今後の活動について広岡先生に相談しました。先生が主催する箱根強羅での夏季キャンプに招かれ、アメリカで撮影した映像を披露しながらマーチングの素晴らしさを伝えました。
また、自身が指導していたヤマハ吹奏楽団への指導を広岡先生に依頼しました。大阪万博での演奏披露などを機に日本国内でも機運が高まり、指導者養成組織の設立へと動き出しましたが、設立にあたっては3つの課題がありました。
これらをクリアし、1971(昭和46)年5月に辻井市太郎氏を理事長として「日本マーチングバンド指導者協会」を発足させ、同年8月には箱根強羅で第1回指導者キャンプを開催しました。
指導者協会発足の翌年となる1972(昭和47)年、学生や生徒のための組織化を図るため、広岡先生と相談のうえ全国組織「日本マーチングバンド連盟」を構想しました。
広岡先生の「日本パレードアソシエイション」を関東支部とし、自身が関与する中部(東海)支部、関西支部などを束ね、松本秀喜氏を理事長に迎え、広岡氏・鈴木氏・私の三名を副理事長として発足しました。1973(昭和48)年に東京体育館で開催された「第1回マーチングバンド・バトントワリング全国大会」を皮切りに、日本武道館、そしてさいたまスーパーアリーナへと規模を拡大し、歴史を重ねています。広岡先生とともに築いてきた日本のマーチングについて改めて考え、関わってこられた多くの先生方の功績とご努力に改めて敬意を表したいと思います。

日本武道館を埋め尽くしていた熱気と歓声が、息を潜める。グランプリ校発表の瞬間、数千人が見つめる静寂のなか、一つのカスタネットが小さく鳴り響きました。
次の瞬間、周囲の先輩たちから轟音のような歓声が湧き上がりました。数か月前、キラキラと輝く楽器に憧れて入部したばかりの中学1年生だった私は、どこか他人事のようにその瞬間を受け止めながらも、もちろん心から喜んでいました。
しかし、何よりも心を震わせたのは、先輩たちが涙を流し、抱き合い、感情をあらわにして喜び合う姿でした。その瞬間、私はマーチングバンドという競技に完全に「ハマった」のです。
あのカスタネットの正体は、関東学院マーチングバンドのために故・真島俊夫(まじま・としお)先生が手がけられた、マイルス・デイヴィスの『スケッチ・オブ・スペイン』を再現したアレンジのオープニングでした。1993(平成5)年当時は、グランプリ受賞校の発表とともに、その演奏が会場に流れるという粋な演出が行われていました。
真島先生がとてつもないアレンジャーであり作曲家であることを知り、強く意識するきっかけとなったのが、翌1994(平成6)年のオランダ遠征のことでした。普段からマーチングの在り方や音楽について、お酒を酌み交わしながら意見交換をされる間柄だったという、広岡先生と真島先生。その真島先生が、関東学院のオランダ遠征にアレンジャーとして同行してくださったのです。
今でも鮮明に覚えているのは、閉会式前、各国のミュージシャンたちが突然『聖者の行進』をセッションし始めたことです。当時の私はまだ中学2年生。セッションという文化を初めて目の当たりにし、楽しい雰囲気に包まれながらも、「絶対に自分には回ってこない」と分かっているのに、「もし演奏の順番が回ってきたらどうしよう」と要らぬ心配をしていたことを思い出します(笑)。
そんな中、関東学院からは、今でも親しくさせていただいている当時高校3年生の先輩が果敢にメロディーを奏でていました。そしてその最中、真島先生が私の同級生のトロンボーンを「ちょっと貸してね」と手に取り、そのままソロを吹き上げられました。会場は大歓声に包まれました。まさに「上杉少年、ジャズを知る」――そんな瞬間でした。あれがどれほど特別な経験だったのかを本当に理解するのは、もっとずっと後のことです。
広岡先生がご退任され、ほどなくして私も非常勤講師として関東学院に携わるようになりました。それから昨年まで、ほぼ毎年数回、ご自宅にお邪魔しては、現在の関東学院やマーチング界についてお話を伺いました。そのたびに先生の情熱に圧倒されたのをよく覚えています。私がショー制作にも携わるようになってからは、「関東学院らしさ」とは何か、そして広岡先生ご自身が真島先生とどのように打ち合わせを重ね、どのようなリクエストをされていたのか、数え切れないほどの助言をいただきました。特に木管の使い方については、「もっと良い方法があるはずだ」と、いつも厳しく、そして温かく叱咤激励してくださいました。
私が生涯忘れることのできない、深い感謝と、受け継がれる歴史やご縁の重みを実感した出来事があったのは、2014(平成26)年10月のことです。神奈川県大会後、久しぶりに演奏演技をご覧くださった真島先生とお話しする機会を、広岡先生をはじめOBの先輩方が作ってくださいました。懐かしい昔話から現在の関東学院のことまでお酒を酌み交わしながら語り合う、本当に幸せな時間でした。
「こんな素敵な時間に、悩んでいるアレンジの相談なんてできないな」、そう思っていたその時です。大好きなワインを口に運ぶ手を止め、真島先生がこうおっしゃいました。
「上杉くん、関東学院の冒頭のアンサンブルのアレンジ、私にやらせていただけませんか」
あまりにも突然のことで、動揺を隠せませんでした。
「先生、本当ですか。ぜひお願いいたします。」
そうお答えするのが精一杯でした。翌日届いたアレンジは、私の想像をはるかに超える、本当に素晴らしいものでした。添えられていた文面には、こう書かれていました。
「これは皆さんへのプレゼントですから気にしないでください。(今度皆さんと飲む時にワインでも奢ってください)」
その言葉を読んだ瞬間、涙があふれました。広岡先生を語る上で、真島先生の音楽は決して切り離すことのできない、かけがえのないパートナーだったと思います。そして、広岡先生が現場を離れられた後も、お二人が紡いでくださったご縁や想いが、こうして現役のメンバーへ受け継がれていきます。そのことを肌で感じた出来事でもありました。
その年の「第42回マーチングバンド全国大会」高校の部・大編成にて、関東学院マーチングバンドは久しぶりの金賞を受賞することができました。振り返ってみれば、真島先生が思いつきで「アレンジをやらせて」とおっしゃるはずがありません。きっと広岡先生が、「現役のために、そして上杉のために力を貸してあげてほしい」と、お口添えくださったのではないでしょうか。そんな気がしてなりません。
広岡先生と最後にお会いできたのは、2025(令和7)年11月だったでしょうか。その時も「100歳になったら指揮を振らせてな!」と、満面の笑みで話してくださいました。
その約束を実現できなかったことは心残りですが、関東学院マーチングバンドの生みの親である広岡先生が遺された「広岡イズム」が、これからもさまざまな形で受け継がれていくよう、微力ながら私も歩み続けていきたいと思います。
先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

広岡徹也(ひろおか・てつや)
東京藝術大学音楽学部声楽科を卒業後、関東学院中学校高等学校にて教職に就き、関東学院マーチングバンド初代顧問に就任。警視庁音楽隊の岡林新太郎氏に行進・指揮法を師事した。1957年から8年間、神奈川県吹奏楽連盟常任理事を歴任。横須賀駐留の米海軍「ビューグルバンド」との出会いを機に渡米し、講習会で技術を習得。1966年、関東学院OBらと日本初のマーチングバンド「日本ビューグルバンド」を結成した。東京オリンピック前夜祭での小学生の大規模パレード指揮、大阪万博でのショー出演、アメリカでの大規模バンド指揮、国体オープニングでの演技指揮などを歴任し、晩年は(一社)日本マーチングバンド協会顧問として尽力した。
受賞歴
・第28回日本管・打楽器吹奏楽アカデミー賞(2017年)
・神奈川県民功労者表彰(2018年)
・文化庁 令和元年度地域文化功労者表彰(芸術分野)(2019年)
・旭日双光章(2023年)